舞台WUG青葉の記録のBDを見てたら在宅をこじらせてしまい、これでは新章ショックに備えられないと思ったのでツアー大阪に行くことにした(行った)

あらすじ

WUG舞台BD良いわね

ところで「舞台 七人のアイドル」じゃなくて「青葉の記録」なのはなんでなん?

え、もしかして在宅の自分はWUGの「記録」を見てるだけなのでは?

新章の前に現場行っぞ!(大阪行った)(楽しかった)(歴史を刻め)(おわり)


舞台WUG青葉の記録のBDを見てたら、自分がWUGのライブ未経験である焦燥感を思い出すことになり、在宅をめちゃくちゃこじらせてしまった。こじらせきってしまう前にライブに行ってみることにした。
その経緯を順番に書きます。


かなり見所が多い舞台なんだけど、舞台を見る手段としてテレビ画面は狭すぎると思った。なんだか距離を感じて迫力が減衰している。とにかく遠い。カメラは基本的に喋ってる人を映すけど、舞台は常に全員が芝居をしてるから他の人を見たい時もある。舞台自体はとても良いと思っただけに、そういう理由からどうせなら生で観劇したかったと思った。
でもその不満を解消するように、ライブパートのソロカメラ映像が収録されているのは気が利いていると思った。舞台を映像商品にするにあたってのバランスが取れている。ソロカメラはライブ中に推ししか見えていない時の視界感覚と観察力を疑似体験するかのようで、本当に強い。
円盤購入動機の大部分に、片山実波制服の田中美海さんしゅきしゅきというのがあったのでこれはとても嬉しい。購入動機の内訳は、WUGちゃん最新の芝居を見たい3割、ヘッドマイクでのライブ最新映像が3割、制服と片山私服の田中美海さんしゅきしゅきしゅきが4割といったところだろうか。
舞台の良し悪しはわからないが、ドキュメンタリーみたいだと思った。


ところで、BDを見るまでなんとなく疑問に思っていたことがあって、なぜ七人のアイドルのストーリーを改めて舞台で演じるのかということと、なぜ「舞台 七人のアイドル」じゃなくて「青葉の記録」なの?ということ。
商業的な理由なら、プリパラミュージカルに追随したいとか、二期決定した作品が一期の劇場版をやるみたいな感じなのかなと想像してたけど、ハイパーリンクを掲げているWUGが、アニメの話をもう一度舞台でやることにどういう意味があるのか疑問だった。

だって「七人のアイドル」のストーリーなら「七人のアイドル」を見ればいいじゃん。……いやこの理屈はおかしいんだけど、アイドルは物語っていうのなら、同じこと二回やっても進展がなくない? リメイクするほどの歴史があるわけでもないし。
ということを考えてたんだけど、BDを見てみたら大筋は同じでも細部が違ったりするし、演者ネタなんかの遊びの要素もあって、これはある程度メタっぽい舞台なんじゃないかと感じて、それが「青葉の記録」ってことなんだと思った。


「アイドルは物語」というフレーズがあって、それは監督の支持するアイドル論であるわけじゃないですか。

二次WUGの物語は「七人のアイドル」から「BtB」までのアニメシリーズによって描かれていて、アイドルの物語性という文脈でいうと、I-1がドーム公演やってる時に勾当台公園でライブやってたWUGがアイドルの祭典でI-1を退けて優勝するまでになるという話ですよね。そして新章も控えている。

二次WUGがアニメ的存在である以上、その時に再生してるメディアが二次WUGにとっては物語としてリアルタイムだと思うんですよ。視聴者の自分が「BtB」まで知った状態で「七人のアイドル」を見返したとしても、それは二次WUGにとって過去の物語になったりはしないし、自分も当事者のように同期するじゃないですか (思い出を振り返るように観たりしないですよね…?)。
だからいつ見たって七人のアイドルは最初の物語として不変だし、何度見たって最初の物語を再体験することになる。

「七人のアイドル」が再演された舞台「青葉の記録」は、その見方からすると、物語ではなくメタ的な記録になっている。
トーリーは「七人のアイドル」だけど、その時リアルタイムなのは舞台そのものじゃないですか。同じストーリーでも細部の違いやメタ的な要素もある舞台は、生の物語ではないために「七人のアイドル」ではなく、WUGちゃんにとっての「青葉の記録」になるのだというところで腑に落ちた。

……ちょっと何言ってるかよくわからないと思うけど、WUGちゃんが「七人のアイドル」のストーリーをアニメWUGの物語と認識しながら舞台という媒体で再演することがメタ的で、最初の物語の記録的な意味をもつんだな~って感想です。当事者的→物語、メタ的→記録 みたいな…。自分でもよくわかってないけど。

というか舞台冒頭の真夢ナレーションで「これは私達が立ち上がるまでの道、青葉の記録だ」と言ってるんだから、それにつきる話なんですけど。

 

ここからが本題。
そこで思い至ったのが、俺はWUGちゃん全般に関して「記録」を見てるに過ぎないなじゃないかということ。
何故ならWUGちゃんを自分の目で見たことがないから!!

ちょっと話がそれるけど、自分が声優ライブを好きな理由の一つに「三次元に二次元的なものを見たいから*1」というのがあって、声優さんを通してキャラクターの本質とか作品のテーマなんかをわからされる瞬間がめちゃくちゃ好きなんですよね。たぶん自分はそうまでされないとキャラや作品のことを全然わかっていないし、本当のことだと信じることができていないのだろう。

WUGでいうと、仙台に遠征した時に、天ぱりに飾ってあるサインやアニメイトで推されてる様子を見て、え、ほんとに“仙台を拠点に活動するアイドルグループ”じゃんと感動して、なんだかわからんけどアニメのことがここで好きになったという体験があった。

そういう理由から、WUGちゃんも一度この目で見ないことにはもうひとつ理解が足りていないと思う。
それどころか、在宅故にハイパーリンクが逆に作用して、WUGちゃんが現実に活動してる声優ユニットという実感があまりなく、アニメに付随したユニットのような認識が拭いきれていない。媒体を通してしか見たことがない点で、アニメ存在と同じみたいな印象がある。
そういう虚実混交が気に入ったからWUGが好きだというのは間違いないのだけども。


でも、自分はライブBD大好きラジオ大好きオタクなので、在宅的な楽しみ方・付き合い方にはある程度満足している。
問題なのは「アイドルは物語」だと言ってるのコンテンツなのに、さっきの理屈でいうと自分は「記録」しか見てないんじゃないかってこと。

アニメWUGの物語とWUGちゃんの物語が重なりあって虚実混交となり相乗的な良さを生むわけじゃないですか。
WUGちゃんの物語は誰が決めるのかというと、それはオタクでありつまり自分なわけだ。自分が見聞きしたものを取捨選択して、要素を繋ぎ合わせて、文脈を構築して、意味をもたせたものが物語ですよね。
じゃあその物語のほとんどが誰かから聞いた話というのはどうなのか。極端にいうと、アニメ見てないのに評判やまとめサイトの知識だけで知った気になってるオタクと同じじゃないのか。そんな伝聞の知識だけで真のエモーショナルを感じ取れるのか?
(別に自分はアイドル物語論者ではないし、WUGちゃんにそれを求めるのはちょっと違うと思ってるけど)

一度この目でライブを見ないことには、WUGちゃんに対する現実感を獲得できないし、当事者性は生まれないと思う。ライブBDやラジオだって現実感を伴わないなら、物語の記録あるいは活動の痕跡を追っているだけだ。新章が始まって情勢が不安定になる前に、声優ユニットWake Up,Girls!を現実のものとしてしっかり捉えておきたかった。

というか単純に、WUGちゃんが4thツアーを突っ走りながら新章も始まるぞ!って状況で、ラジオやブログでは4thの話がメインになって、オタクたちもライブレポや新章の話題で盛り上がってるところで、自分にとっての最新情報は一年も前の3rdライブBDです、ってマジでありえないでしょ。個人的に不安9割の新章にそんなメンタルで向かっていけるのかよ。

 

そう思った俺は、行くなら一番早いやつだろ!とツアー大阪のチケットを購入し、昼夜参加して大いに楽しんだのであった。
ほぼ最後列でもくっっっっっそ楽しかった。最高。

 

*1:Twitterで見かけた誰かの受け売りなのですが