月夜を二人で抜け出す程度の能力

先日、半オタククラブイベントに行った時にかけられていた『月夜を二人で抜け出す程度の能力』に脳みそを強く刺激された。
スピーカーで大音量で流れるその曲のサビを聴くまで、自分は楽曲の存在自体を忘れていた。なんの曲であるか思い出せないものの「めっちゃ聴いてたやつだ!!」という感覚に襲われ、歌詞をググり『月夜を二人で抜け出す程度の能力』であることをようやく思い出せた。自分がこの曲を聴いていたのは約10年前のことだ。10年前に自然に聴かなくなってからこの時まで一切触れることがなかった。約10年の空白が脳みそをめちゃくちゃ刺激した。


イベントが終わってからGoogle Playでこの曲を買った。
部屋でひとりあらためて『月夜を二人で抜け出す程度の能力』を聴くと、あの頃の情景が脳の奥底から流れ出てきた。
18時を回ったバスのいつも座る席。自宅方面に近づいて乗客が2,3人になってからの静謐な空気。外気の冷たさ、暖房の乾燥した温度。ガラケーの手触りとイヤホンの金属部分の硬質さ。週末に控える学校祭のことを考える自分。窓の外を見る自分。聴いているのは『月夜を二人で抜け出す程度の能力』そういうイメージが鮮明に思い浮かんだ。エモいというより記憶イメージの噴出っぷりに驚いた。
思い出補正はあるにしても、今聴いても良い曲だと思う。これが懐メロ概念なのか?

思春期に聴いていた音楽ジャンルは一生好き説があるけど信じてなくて、だって思春期の自分はCMソングや邦楽ヒットチャートを聴いていたけど今べつに好きじゃないもん。アニメ・声優楽曲さいこ~✌って思ってた。
でも本当のところは、その後に聴いていた深夜アニメの曲とかニコニコ動画で流行ってた電波ソングが思春期音楽に該当するんでしょうね。きっと当時の自分はそれを音楽というよりネットカルチャー的なアレとして摂取していたのだろう。

というか、クラブでD.WattさんのDJを聴くってなんか、昔のニコニコ動画を見てた時の自分は考えもしなかった。昔から繋がってるような繋がってないようなよくわからんお気持ちがある。D.Wattさん…『とぅいんくる☆そんぐ!!』が好きです…


体験と結びついた記憶は音楽だけでなくラジオにもある。
芹澤優のせりざわーるどならラーメン屋に並んだ日を思い出すし、いちごまみれは川辺を歩いていた日、ラジオハナヤマタを聴くと2015~1016年を思い出す。こういうのは音楽よりラジオのほうが多くある気がする。
ラジオハナヤマタの総括オタクエッセイはいつかちゃんと書きたいと考えてる。(ちゃんと書きたいというのは投稿予告ではなく好きなものに対してなんかしたいとか決着をつけたいとか抱えた気持ちの落とし所を見つけたいとかそういう自己完結的なやつです)

 

 

月夜を二人で抜け出す程度の能力

月夜を二人で抜け出す程度の能力

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 とても良い曲なので聴いたことないオタクも懐メロ判定のオタクも聴いてね。