どうして俺たちは「女オタオタ」から「Vtuberオタク」になったのだろう

Vコンテンツの嫌いなところは漂白された女オタオタなところかもしれない。

という内容のツイートを見て、2年前のことを思い出した。にじさんじが動き出してそこからVtuberに興味を持ち始めた時のことだ。

 


その頃、Vtuberを見る我々は、まさしく女オタオタ的だったと思う。生配信者をちやほやする女オタオタだ。と言っても、実際的な女オタオタ行為があったわけではなく、精神的な女オタオタ……バーチャル女オタオタであった。

今はどうだろうか?
女オタオタは廃れたと私は思う。
いつの間にか、気づかないうちに、そのままの「オタク」的になっている。ドルオタか声優オタクかのように、「Vtuberのオタク」になっている。

なぜそうなったのか結論は出ないが、現在思うところを書いていきたい。


ここでの「女オタオタ」について、狭義の意味から離れているという自覚はあるが、よりふさわしい言葉が見当たらないのでここでは大目に見てほしい。
また「我々」「オタク」などのデカい主語を使うがそれはすべて「筆者」に置き換えてもらって構わない。


私はリアルでは、女オタクさんと接するようなコミュニティと縁遠いし、Vtuber登場以前はニコ生やツイキャスなどの生配信文化圏にもいなかった。そのため、FPS美少女ゲームなどのジャンルを愛好する女オタクさん(Vtuber)が実在することが驚きだったし、好ましく思えた。無意識に女オタオタの楽しみを知ったのである。

好きなアニメ作品に共感したり、趣味の造詣の深さに感心したり、自分と似た考えを持つことに好意を覚えたり、という面のライトな女オタオタ。
タレントへの向き合い方とは違う、ネットという同じ社会集団に属する隣人への好意だ。
言ってしまえば、オタサーの姫を囲ってちやほやしたり好きになっちゃったりというわけ。
その空気は、企業勢個人勢を問わず界隈全体にあったように感じる。Vtuberを見始めるにあたって、面白さよりもこの感情が先行した人は多いのではないだろうか。

このことはVtuberに限らず一般的な配信者にも当てはまることなのだろうが、Vtuber――特に2D生配信者――はネット配信を敬遠してきた未開拓の新規層に、女オタオタできる新鮮さを広めた。Vtuberを通して女オタオタが流行ったのである。


なぜ界隈全体が女オタオタであったのかというと、それは四天王という先駆者がいたからだろう。

[四天王←我々(リスナー)][四天王←後発Vtuber(リスナー)]
という、配信者と視聴者で立場は違えど、ともにVtuberという同ジャンルのオタクであった。
それが[後発Vtuber←我々]の構図を女オタオタたらしめていたのだ(ほんとか?)。

伝承によると、黎明期にはデビューするVtuberは全員チェックできたという。Vtuberというジャンルにおいて、配信者と視聴者の力関係は今よりもイーブンに近かったのではないだろうか。発信するオタクと、受信するオタクの関係だ。感覚的な話だが、現在から当時を振り返ると相対的にそう思える印象がある。


その頃(2018年前半かな)には、Vtuberの目新しさについて「キャラから反応があるのが魅力」などと言われていたが、これは正確ではない。「キャラという建前を媒介して女オタオタするのが楽しい」と言い換えるべきだろう。アニメキャラのような存在との双方向性……というのは外見上の話で、オタクは無自覚に、そしてピュアに、女オタオタ行為の甘い部分を楽しんでいたのだ。
(もっともこれについては「我々視聴者がVtuberに反応してやってるんだが?」と思っていたが…)

 

ではなぜ、女オタオタ的でなくなったか? Vtuber人口が増加していったためである。

2D生配信者が流行し、アバター作成ツールや、各種配信プラットフォームといった環境が整い、誰でも手軽にVtuberを始められる土壌ができあがっていくと、Vtuberになる人/ならない人 の線引きがはっきりとしていく。
Vtuberのオタク趣味は、我々リスナーが素朴に共感するものからVtuber同士のコラボの共通項として消化されるようになる。
企業Vtuberも事業が軌道に乗ると権威を持ち始める。配信者と視聴者の力関係は崩れていく。タレント化が加速する。

Vtuberは強大になりタレント・アイドル化していくが、リスナーはリスナーでいる限り留まったままだ。それが格差になる。
同じジャンルでともにオタクだったはずが、タレントとオタクという立場で明確に分けられていく。

TwitterVtuberファンディスコのコミュニティに「姫」が台頭して、本物の女オタオタが起きているという話も聞く。Vtuberは女オタオタの対象ではなくなり、オタクの一次的な対象になった。
そうして「Vtuberオタク」が誕生し、女オタオタの時代は終わったのである。


おかしい。
みんなでほんのりと女オタオタしていた頃の空気はどこに行ってしまったんだ…。

Vtuber企業の目指すところがタレント化だったら界隈全体がそういう空気になるよなとか、脳死てぇてぇ関係性厨の跋扈とか、「推し」概念の蔓延だとか、ホロライブがアイドルをやろうとしてることとか、にじさんじを見てにじさんじになるVたちってつまり代替わりで古参メンバーほどプロ化していって女オタオタ対象から離れていくよなとか、でも「キャラクター」として確立してきたってことでむしろ良いことなのではとか、色々あるかもしれない。


最近、特ににじさんじに対して、仲間内で遊ぶ目的で遊んでばっかりなのはどうなん? という批判がある。わかる~。
タレント同士が交流することを楽しむファン心理は私にもよくわかる。ただそれは最初からタレントとして認知している場合の話だ。

女オタオタ理論で物申すと、我々が女オタオタしていた相手がいつの間にか別のオタサーを作ってその仲間とばかり遊ぶようになって、しかも「タレント同士の交流」の供給ぶってる。そういうことなんですよ。
配信者が配信外で承認欲求満たしてたらそれは話が違うじゃないかってなるじゃん。
あと単純に大勢でワイワイ遊んでることに我々陰キャは良い印象をもたないという最悪の理由もある。

ある配信で「リスナーがそんな態度だったらこの前誰々と遊んだ時の話してやらないよ」と言ってマリカもオフ話ももったいぶって始めないという流れがあった。マリカ見に来てんだからオフ話とかどうでもいいから早くマリカやれやと思ったものだが、チャット欄はごめんやだ話してなどのコメントが優勢で愕然としたことがある。これが今の時代なのかと。

それにしても……許せね~~~~~~
我々に女オタオタされることで承認欲求を満たしなさいよ。なんで心強い仲間たちと支え合って活動してるんだよ。健全すぎるだろ……。


でもね、はっきり言って今のほうが見るもん多くて面白い。
まあ言うてもエンタメ性で満たされる欲と、女オタオタ感情で満たされる欲は違うんだわ。みなさんも後者が圧倒的に不足していると思いませんか?

え? 小規模でやってるVtuberを狙えば女オタオタできるじゃん って?「ナイスパ!」コメントが連なる所は女オタオタ性があるよ って? うるせー! そういう話じゃないんだよ!!


リスナーたちよ。
再び呼び起こすんだ、女オタオタ精神を。
そしてユニコーンの角を研ぎ澄ませ。


書いてたらむしゃくしゃしてきたから今からARK配信のチャットでエアプ指示と半ギレ指示厨とワザップと脳死全肯定と伝書鳩と指示厨イライラで草を一人で全部やってくるぜ(やりませんが…) おまえらまたな!

 

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