エアプオタクにとってミリオン3rdツアーはエモかったか


ミリオンライブ3rdライブツアーもいよいよクライマックスですね。
自分は、名古屋公演と福岡公演をLVで、仙台公演を現地で見ました。大阪は家でぽやしんでた(金無しオタク)。

ミリオンライブやっぱすげえぞって感じですよね。めっちゃ楽しい3rdライブ。
シアター組全員に出番があって、各公演で色んな組み合わせが見られて、お楽しみの765カバーもある。ミリオンの持ち味最大発揮なんじゃないか。

そんな感じでめっちゃ楽しいんだけど、実は自分、ミリオンライブゲームエアプ勢なんですよ。
楽曲は好きだしアイマスも多分好きなんだけど、どうにもゲームにハマれなかった。

そしてツアーを通して、エアプであるために「めっちゃ楽しい」以上の感想を持つことができないのでは?と思い始め、無駄に悩み、やがて開き直るようになった。
その過程を是非見ていってほしい。


エアプ具合
・ゲームほとんどやってない
・劇場版記念ボイスドラマは見た(傑作じゃないですか?)
・漫画は読んでる
・声優オタク
・ミリラジゲスト来た順にキャラを覚えた
・あんま知らないけど曲好きだしライブ行くわw
・ミリエロは好き

 

名古屋公演

名古屋公演はツアーのスタートにして即優勝でしたね。セットリストがブチ上がりだったことと、リーダー2名の持ち味もあって、純粋に楽しい公演だと感じた。
いわゆる初参加組の桐谷蝶々さんと渡部恵子さんが見たくてLVを観に行ったんだけど、ずっと聴きたかった曲を聴くことができて大満足。このお二人はMCで感極まっていたのも印象的だった。

そんな二人を見て、自分も「こんなんエモいでしょ」ってなってたんだけど、数日開けて熱も落ち着いてきたら「いや、自分にエモくなる要素あるか?」と思い始めてきた。
蝶々さんと渡部恵子さんの涙は、主に大型ライブの舞台に美也と桃子を立たせることができた感激からくるものなのだろうけど、
だったらエアプの自分がそれに共感した気になってるのっておかしくね?と思ったのが始まり。

例えば担当P達が「美也がついに大舞台に(泣)」って感動するのは理解できるけど、それは自分の感情ではないし、そこに至るまでの積み重ねを知らない。
自発的なものじゃないなら、当事者である蝶々さんに共感して、感動したと思った可能性はあるか、というとこれもしっくりこない。エアプの自分が、キャラと多くを積み重ねてきた声優さんの何に共感できるのかという話になってくる。

アイドルマスターの醍醐味を全然味わえてないことに気づく。

結局は、感動のおすそ分けを貰ったに過ぎないってことなんだろうか…。

 

仙台公演

行けたらいいなあ程度だったけど1Dreaming!でチケ当たったから現地参加。
名古屋で発生したエモ問題を抱えつつも、仙台旅行を兼ねてうかれまくった。(WUG巡り楽しかったんだよな)
在宅オタクだからSSA以来200年ぶり2度目にミリオンスターズを現地で見たライブだった。ステージからありえん遠い席だったけどLVよりも全然楽しい。会場ならではの熱狂度合いは、LV浸りになっていた自分の求めていたものだった。LV必要なし!(必要あり)


そんな中で、間違いなく仙台のベストパフォーマンスだったのが『君だけの欠片』だ。
郁原さんが立ち上がってから再び座るまでの間、自分は呼吸してなかったと思うし目と耳以外機能してなかったと思う。そのくらい強烈に印象に残ってる。めちゃくちゃ良くて、楽曲の世界に引きこまれた。
これはもう、この感動は自分のものと受け取ってもいいんじゃないかと思った。

思ったけど、ライブの記憶を反芻していた頃に、郁原ゆうさんの仙台公演ブログ③が投下された。『君だけの欠片』の項を読んで、ありえんため息が出た。大雑把にいうと「1stで曲中泣いてしまったリベンジとして超頑張った」という内容。

いや~~~かなり重くないですか? 実際に文章化されると。
ステージに立つまでにはそれぞれの努力とか挫折とか悲喜交交あるのはわかってる。でもそれを舞台裏として、あのステージまでの過程として見ちゃったら、もう物語として見ちゃうじゃん。
見たくないとか余計だって言ってるんじゃ決してなくて、安易に踏み込むのは危険だってことなんです。


例えば、現実のアイドルには物語性が重要らしい。路上下積み時代からついにSSAにまで(エモい)みたいなやつ。そういうのが熱いのはわかる。
でもアイドルマスターはあくまで二次元コンテツであるから、物語性はキャラクターが担ってるわけでしょ。キャラクターをより良く伝えるために声優はレッスンしたりするわけじゃないですか。広く言えば役作りだと思うんだけど。

声優の努力や成長をドラマや物語として捉えるのはまあいいけど、それをアイドルマスター的な要素と混同するのは絶対マズいでしょ。

その声優のオタクが、努力・成長に物語性を感じてエモくなるのは全然順当だと思う。でもアイマスPの目線から、声優の物語性をアイドルマスターに内包されるものとして見て、エモくなるのは無責任だし危険じゃないですか。

声優に物語性を求めるなら、それは本来、声優人生として連続しているものなのだから、アイマスで表現されるその瞬間しか見ようとしないのはあまりに不誠実ではないかと思う。
アイマスPの視野の中で一人の人間を語ろうなんてことがありえるか?


つまり自分はそんなことしたくないし、そこまで踏み込む資格もない。
いや声優見にライブ行ってブログまで見て何言ってんだって感じだし、主張がよくわからないかと思うが、自分でもよくわかってない。とにかくまとまりなく悩んでいた。

 

福岡公演

クレシェンドブルー優勝。Shooting Starsは2ndでも3人で歌ってたけど、平山さんが加わったらパワー10倍くらいになってヤバくないですか。フルメンバーになったらどうなってしまうのか。
他にもロコソングがベリーキュートだったとかプレグレが歴代最強だったとか色々あるけど、特筆すべきは福岡リーダーの麻倉ももさんと雨宮天さんですよね。

開幕Dreaming!の大サビでLV画面に二人の姿が映ったのを見てその時点でちょっと泣いてしまった。
そこで思い出したんだけど、自分がミリオンに入れ込むようになったきっかけが麻倉ももさんと雨宮天さんのコンビだった。

公演リーダーとして福岡に凱旋する麻倉さんと、麻倉さんを支えつつも支えられる雨宮さん。そんな互いに支え高め合う関係である二人が歌う星屑のシンフォニアは、自分がミリオンライブでずっと見たかった光景そのものだった。
麻倉ももさんと雨宮天さんの星屑のシンフォニアによって、俺のミリオンライブ第一部が完結した気がした。
つまり端的に言ってエモくなった。今回はガチ。
その観点では福岡公演は一つの到達点だったはず。もちょ天厨のみなさんもそう思いませんか。


結局、自分が見たかったのは、麻倉ももさんと雨宮天さんが並び立つミリオンライブ福岡公演だったのだ。

と、納得しようとしている…。


なんかさっきの主張と矛盾してる気もするけど、主観が定まったというか、一応の結論が出たというか、そんなところに落ち着いたことにする。
ミリオンライブという媒体でもちょ天を見れたらいいなあ程度の軽いオタクになるぞ。5分で10回くらい優勝するようなオタクになる。いやそれで大丈夫なのか? わからない。
といっても幕張は家でぽやしんでる予定なのでこれ以上の進展はなさそう(金無しオタク)。

 

まとめ
・担当アイドルがいないどころかエアプ
・なのでアイドルマスター的感動を得られない
・しかしアイドルマスター的感動を声優ドラマで代替したくはない
・自分にとってミリオンライブの中心はどこか?
麻倉ももさんと雨宮天さんが自分にとってミリオンの焦点?