はいふり 改め ハイスクール・フリートの感想(長い)
『はいふり』改め『ハイスクール・フリート』面白かったですね。
全12話の放送が終わって少し経ちましたが、整理も兼ねて作品の感想的なやつを書きます。
はいふりをめっちゃ楽しんだ層と感想を共有したい気持ちがあるし、まるで楽しめなかった層にはどんなふうにめっちゃ楽しかったのか知ってもらいたい気持ちもあるので。
Twitterではいふりの話ばっかりしてるのがアレなので言いたいこと全部詰め込んだら無闇に長く散漫になって人に読んでもらう文章じゃなくなった感がありますが…。
■どんなアニメだったか
まず言いたいのが、はいふりはキャラアニメだということです。
キャラアニメという表現は、キャラを愛でるしか楽しみようがないアニメという意味ではなく、キャラクターの物語が中心という意味です。
製作陣曰くはいふりは「理解と和解と成長の物語」らしいです。そこを追うと全体が理解しやすくなりますが、別に答え合わせをしたいわけではないので程々にします。
つまり、はいふりの主軸はストーリーではなく、キャラクターの物語なんですよね。だから、反乱疑惑からの逃亡生活やウイルスの謎などの、一見全体のストーリーを引っ張っていくようにみえる要素はすぐに解決するし、明確な敵役が存在しません。そういうのを期待していたら拍子抜けしてしまいます。
はいふりめっちゃ楽しめなかった勢はここを誤解したまま最終回まできちゃったのだと思います。
■タイトル改める意味あった?
本質はキャラクターの物語なのにストーリーアニメとして見てしまう誤解、これは改題が良くなかったかなと思います。
放送前の宣伝では海洋学校の日常アニメみたいな微妙な偽装をして、一話の終わりで突然の交戦。反乱容疑をかけられる引きとともに『はいふり』とは実は『ハイスクール・フリート』でしたーって仕掛けがありました。いや、平仮名四文字タイトルだからって戦艦に乗る作品を日常アニメだと思う? ドッキリを仕掛けたからってなんになるのかわからないし、先行上映があったから全然知られてたし…。どんな効果を狙ったのかわからないけど、少なくとも自分にとってはあまり良くないものでした。
私はこの仕掛のせいで始まった当初は、わざわざ本当のタイトルを隠すくらいだから、この作品は逃亡生活で極限状態に陥ったりウイルスの謎で大風呂敷を広げたりするかもとか、たくさんいる登場人物は展開上戦死者を出すためなのかもとか、そういう先入観をもってしまっていました。つまり海上戦とでっかいストーリーで魅せるアニメなんだろうと思って見ていました。
その想像とはかけ離れた内容に肩透かしをくらい、当初は何やら半端なアニメだなとあんまり楽しめずにいました。
オーコメで言ってたところの「作品のテイストを掴む」のに時間がかかっていました。(シナリオもそういうところがあったと思いますが)
今となっては全然そんな作品ではないことは普通に見ていればわかりますが、大げさな仕掛けとアニプレっぷりに惑わされましたね。
■海の仲間は家族
じゃあ具体的にどんな話なのかというと、「海の仲間は家族」という話ではないでしょうか。
晴風の仲間と家族になる、岬明乃の物語です。
岬明乃は「海の仲間は家族」という信念に基づいて行動します。岬明乃はこの言葉を度々口にしていて、人命救助のためなら艦長の持ち場を離れ駆けつけるほどです。
「海の仲間は家族だから」という言葉は元々は幼なじみである知名もえか(の母)のものです。幼い頃に海難事故で家族を亡くした明乃はこの言葉とともに、ブルーマーメイドになることを知名もえかと約束しました。海難事故がトラウマになっているため、人命に関わることとなれば真っ先に助けに行こうとするなど、“家族”に対してめちゃくちゃ執着します。
「海の仲間は家族」である明乃ですが、五話では親友を救うべく、晴風を蔑ろにスキッパーで飛び出し、ましろに「海の仲間は家族じゃないのか!」と激怒されます。これは晴風の仲間より親友を優先した行動といえます。
この時点では明乃はまだ晴風のみんなと家族になれていないため、親友を優先してしまったのではないでしょうか。
なんて考えてたらBD1巻のブックレットの人物紹介にズバリと書いてありました。
「育ちのせいか依存心が強く、仲間や家族を強く求める傾向がある。だが、本当の家族がどんなものかよくわかっていないので自分の理想とするものを求めている。」
Wikipediaの記述が超わかりやすいので引用します
ブルーマーメイドを目指す理由は、幼い頃に海難事故で両親を失い、その時にブルーマーメイドに救助された事がきっかけである。他にももえかとの約束もあるが、それはこの後の出来事である。また、海難事故が雷雨の中での出来事だったため、その時のトラウマで雷が大の苦手。
艦長に任命されたことに困惑するが、出港前の古庄との会話をきっかけに「船の仲間はみんな家族」という信念をもって艦長の任を全うすることを決意。その一環で乗員は全員あだ名を付けて呼び合っている。また、信念についてはもえかから影響を受けたことが後に明らかとなる。
当初艦長としていざという時の決断はできるものの、それ以外では未熟さが目立ち、特に人命が関わると周りを気にせず、職務より感情に走った行動をしていた。この行動についてましろから苦言を呈されており、自身も多少反省や葛藤するものの、その姿勢を見直すまでに至らず、その結果、ましろの怒りを買い、関係の一時悪化を招くという問題を引き起こした。だが、新橋商店街船の救助活動を通じて今までの自らの言動を見つめることとなり、ましろに謝罪の言葉を述べたことで問題は解決された。そして、比叡との戦闘ではこれらの経験を糧にした姿を見せるが、シュペーとの戦闘で交戦すれば負傷者が出るという現実を突き付けられ、艦長の重責に苦悩することとなり、武蔵を捕捉した際、遂にこれに押しつぶされ、一時は艦の指揮ができない状況まで追い詰められるが、柳原の活躍やましろ以下乗員からの言葉と意思を知ったことで立ち直り、武蔵と対峙することを決意する。
はいふりってどんな話?って訊かれたらこれを見せれば済むくらい説明されていますね。
(Wikipediaといえば姫路果代子がフリック入力早いマンになってるけどこれは八木鶫ちゃんの間違いじゃないですか?)
■艦長
岬明乃にとって艦長とは「船の中のお父さん」です。「海の仲間は家族」なので。
艦長になるということは晴風のみんなと家族になることです。
しかし副長の宗谷ましろの艦長像は異なります。ブルーマーメイド名門の家系であるましろは、元々は武蔵の艦長になりたいという思いがあり、相応の成績優秀者なのですが不運により晴風クラスに配属された人間です。そのためか艦橋メンバーの中でも一人だけ馴染めていませんでした。
クソ真面目であり晴風クラスを不服に思う彼女にとって、“艦長”に対する意識が違いすぎるため、明乃にキレたりします。
また、明乃が幼少期に家族を失った事件をきっかけにブルーマーメイドを目指したのに対して、ましろは家族(三人も登場する)がきっかけでブルーマーメイドを目指したという経緯があります。そんな二人が持つ“家族”の意味も異なるはずですよね。家族が三人も登場するましろは「海の仲間は家族だから」と飛び出す明乃の気持ちを全然理解できていなかったはずです。
それがなんやかんやあって、7話ではましろが救助を待つ側の気持ちを知り、明乃が船で待つ側の気持ちを知り、明乃が過去を語ることで二人は和解します。
度重なる持ち場放棄をましろに咎められ、艦長失格ではないかと悩む明乃が、航海長の知床鈴に「うちの艦長が岬さんでよかった」と肯定されているように、明乃の信念は晴風に相応しい艦長のあり方として認められています。
明乃が様々なピンチを晴風の仲間と乗り越え、ほんとうに晴風の仲間と家族になり、再び家族を失ってしまう恐怖を克服するという話です。
12話の離艦を決断する際のやりとりと明乃の見せる表情が、はいふり成長物語の結論というか、成長の証なんだというのは伝わってきますが、これがうまく言語化して飲み込めなくてもどかしく思います。
感想を書くはずが整理してたら読書感想文をあらすじで埋めるやつみたいになっていました。ここから感想がメインになります。
■晴風クラス
はいふりは明乃が晴風の仲間と家族になる話だと言いましたが、まあそれはそれとして。
本作の魅力とはやはり晴風の仲間たちではないでしょうか。
航海中にトイレットペーパーがないとか、水不足で海水でパンツを洗うとか、休息中に水鉄砲で遊んでるワンカットとか、そういう日常的な描写がキャラクターを把握してからだとめちゃくちゃ楽しくなるんですよね。
この楽しみ方が最初は難しかったので、つい戦闘場面にばかり目が行ってしまう、偏った見方をしていました。
シリアスな戦闘も、コミカルな日常も、すべて晴風クラスのみんなが中心にあるから船での生活の一幕として成り立つのだと感じました。
はいふり7話、今になって見たけど神回じゃない? 1~6話でやってきたコメディとシリアスの2つのラインがこれまでの最高潮に達しながらも互いを損なわず上手く融合してるのは物語を動かすキャラクター達の信頼があるからだよなという感じ…………
— のぶ (@Nobu_V) 2016年5月25日
はいふりをより楽しむためには漫画版を読むことは必須だと思います。漫画版(コミック一巻)は一話以前の、横須賀女子海洋学校入学前のエピソードで、岬明乃はあまり登場せず、機関科と主計科メンバーが中心に描かれています。
これを読むだけで視野がめちゃくちゃ広がりました。漫画版を踏まえた上でアニメを見直すと、晴風船員それぞれに焦点が合うようになります。何気ない日常シーンとして捉えていたものが、一つの船で生活する彼女たちの瞬間瞬間が見えてくるようで親しみを覚えるようになってきます。
■10話
そうしてキャラに注目できるようになってから見る10話が最高なんです。
晴風クラスのほとんどは横須賀女子海洋学校に入学する前から主に科ごとに友人関係ができています。それぞれは最初から仲いいんですよね(これかなり重要な要素だと思うんですけど本編で言及されてなくない?)。
船まるごとお祭り騒ぎになって親睦が深まって…。万里小路さんの下手くそな笛!
航海科のコーカイラップ
めっちゃ好きで無限に見てますけど、航海科が後悔ラップをするってどういうアイデアなのか全然分からなくてウケます。
宇田の意外なドヤ顔! こういう小さな良さが無数にあるのが良いですよね。
内田まゆみの「私の後悔知ってるかい? ついついしちゃった日焼けだYO!」ですが、これ面白いですよね。どう見てもついついしちゃったどころじゃない日焼け具合じゃないですか。もともと色黒で本人にしか分からない程度に日焼けした説、実は後悔していないがコーカイラップのネタとして説など、諸説ありますが、いずれにしてもあれだけこんがり肌なのに日焼けを気にしてるって可愛くないですか? そう思ったら内田まゆみのひみつ「一攫千金を夢見ておこづかいの範囲で宝くじを買い続けている。当たった時の使い道はナイショとのこと」もなんか可愛くてすごく効いてきませんか。
そういうのを考えるのが地味に楽しいんですよね。いや楽しいでしょ。
メイタマの漫才も成長を表現していますよね。
12話でメイタマが噴進弾を撃つシーン、「タマ、魂で撃て」「この弾で…チャンスを掴む!」(音楽:High Free Spirits)ってどう考えてもダジャレが過ぎるんだけど、それってつまり10話のメイタマ漫才の流れを汲んでいる「私達の砲術長が人前であんなに堂々と」という成長を表しているのではないでしょうか。作品のテイストだな~と思います。
あと、鏑木美波の提案でみんなでわれは海の子を歌って赤道祭を終えるのがいいんですよ。みなみさん、漢語とかで会話するからきっとみんな何言ってるかわかってないだろうし、飛び級生なのも知られてないほど交友がなかったんだろうし、漫画版でも五十六を相手してる描写しかなかったし。そんなみなみさんの提案でみんなでわれは海の子を歌って赤道祭を締めくくる。これで本当に晴風が一丸となった感じがあります。
黒木さんとも相撲で和解しますし。相撲でわだかまりが決着するのも作品のテイストだな~と思います。
■11話
この10話が11話の明乃の葛藤にわかりポイントを付加させまくっていますが、
ぶっちゃけ言うと明乃の家族を求める気持ちというのは理屈ではわかるけど、その気持を視聴者が追うようにはなってなくないですか。
むしろ視聴者である自分の気持ちが寄り添うのは晴風クラスのみんなの方なんですよね。別に特定の誰というのではなく、集団というか、晴風自身というか…。伝声管を通してみんなが明乃の告白を聴くシーンで伝わるものが伝わりまくってきて、もう自分の気持ちが船員側に行くんです。自分が晴風クラスに親しみをもつことで艦長を信頼して、ましろを通して明乃の葛藤を見る、みたいな理解になっている気がしました。
明乃がビビることについて行けねえみたいな感想をよく見かけますが、視聴者俺は明乃ではなくこの段階では晴風の船員であるから艦長を心配することに何の不自然もないんですよ。
ましろが「晴風のみんながなんとかする! そう思ってるのは私だけじゃない!」と晴風を代表することの説得力は、小説版がましろの一人称で船員たちとの絡みが描かれていることで更に増しています。コミックも小説もほんと良いタイミングで出て抜群の働きをしていると関心します。
小説版の『ハイスクール・フリート いんたーばるっ』は日常エピソード満載でなかなかに面白いので、はいふりが放送終了して飢え苦しんでる人には超おすすめです。
『ハイスクール・フリート いんたーばるっ』読了。アニメ本編の幕間の出来事が宗谷ましろの一人称で語られる短編集。艦橋要員以外の乗組員も生き生きと描かれている点が非常に好印象。コミック版に並ぶはいふり必読書といえる。八木鶫の「なんかえっちなこと考えてそう」でめちゃくちゃ笑った。
— のぶ (@Nobu_V) 2016年6月25日
■納沙幸子
はいふりを語る上で納沙幸子の存在は外せません。
はいふりがストーリーの謎や引きの強さで魅せるアニメではないと最初に言いましたが、序盤の物語を引っ張っていたのは間違いなく納沙幸子だと思います。
物語の初めはひとり芝居の多い娘なんですが、だんだん仲間ができて、掛け合いしていく中で成長していくんです。序盤はひとり芝居で状況の説明をしてくれます。船には彼女たちしかいないので。もともとはココちゃんのナレーションで話を進めようと思ったのですが、それだと固くなってしまったので、航海日誌をつけるという形にしようかと考えているうちにひとり芝居に落ち着きました。
>航海日誌にしようと考えてるうちに一人芝居に落ち着きました
??
あの一人芝居はパワーありますよね。戦闘に緊張感の持てなさを表現することにも一役買っているんでしょうか。
納沙とミーナのコンビは見ていて本当に面白かったですね。全然相手にされない一人芝居もミーナと出会って友達になってからは仁侠映画の二人芝居になります。その後ミーナと別れる現実を乗り越えて、10話では艦橋4人で任侠芝居やってるのもなんかエモくないですか? 別れを励ましてくれたましろに即めっちゃ距離感詰めて本当大丈夫かって感じですけど。ましろが仁侠映画の台詞で納沙を励ますのも作品のテイストだな~と思います。
7話で艦長が当直の交代を頼む場面で何も訊かず任侠映画の台詞を言って交代する納沙がめっちゃ好きなんですよね。
10話ではコーカイラップにノリノリで、一人芝居でもラップ調がありましたが実はヒップホップが好きなんでしょうか(ラップ一人芝居はアドリブらしいですが)。
納沙幸子OVA楽しみですね。予習として仁義がない感じの映画を見てみることにします。
>>【はいふり】ココちゃんの芝居セリフまとめ!『仁義なき戦い』などの元ネタ解説つき! | まとめまとめ http://matomame.jp/user/FrenchToast/9eec1b64177316abcf4b
はいふりラジオ楽屋裏でナンちゃんが「納沙幸子の裏航海日誌」と読み上げて、ナンの声で発音される「納沙幸子」に謎の高まりを感じた(異常)
— のぶ (@Nobu_V) 2016年6月22日
おまけにはいふりカメラの画像を載せます
ぼく「初めまして。ぼく、はいふりのファンなんです」
— のぶ (@Nobu_V) 2016年5月29日
春奈るなさん「えぇ!😊 推しキャラ誰ですか?」
ぼく「マロンちゃんです」
春奈さん「一緒だ~😊 8話いっぱい出てたよね!😊」
ぼく「あ~まだ見れてないんです😵 楽しみにしますね」 pic.twitter.com/1Eh9TFFjdk